時速100kmで走る自動車は1時間後に100km移動する。
50メートルを走れば、ゴールする。
時速100kmで動く、という原因があるから、結果として、100km移動する。
50メートルを走る、という原因があるから、結果として、ゴールする。
原因があるから、結果がある。あたりまえのことですし、ここには何の違和感もありませんよね?
スーパーボールを地面に投げれば(原因)、その反力で跳ね返ってくる(結果)。
原因があるから結果がある。その考え方が19世紀までの科学の主流であり、自然を観察し、原因を追究し、自然現象を科学で解明できるというのが当然の考え方でした。これを古典物理学といいます。
原因があって、結果があるというのは、あなたも納得がいくでしょう。
では、次の場合ってどうでしょうか?
勉強ができなかったから、いい就職先が見つからなかった。
親がお金持ちじゃなかったから、お金に良い印象がない。
原因があるから、結果がある。
その考え方でいけば、そうなるでしょう。
でも、実際はどうでしょ?
勉強ができなくても、いい就職先につく人だってたくさんいますよね?
親がお金持ちじゃなくても、その子がそれを反面教師としてお金持ちになるケースなんて、よくある話ですよね?
勉強ができないから。
親がお金持ちじゃないから。
そこには、原因があるから、結果があるという、因果関係はまるでないんです。
つまり、法則的なモノと、法則的でないモノがある。
高い建物からボールを落とせば、下に落ちるのはあたりまえだけど、超ミクロの素粒子の領域になると、高い建物から素粒子という粒を落としても、その素粒子はどこに表れるかは、予測ができない。目の前に現れるかもしれないし、あなたの横に表れるかもしれないし、はるか上空に現れるかもしれない。
目に見えるマクロの世界では、原因(高い建物からボールを落とす)があれば、結果(地面に到着)が当然なのに、肉眼で見えない超ミクロの領域では、素粒子の振る舞いは、原因と結果が通用しない世界であり、というか、原因と結果という概念すらないんです。予測不能であり、「何も決まっていない」んです。
すべての物質は、超ミクロの素粒子から出来ています。
その物質の本質である素粒子は、原因と結果による動きではなく、予測不能で何も決まっていないという、いままでの科学(古典物理学)を覆す結果を量子論は明らかにしてしまったため、科学の常識を覆してしまったのです。
「原因があって、結果がある」そういう事象も存在する。
「何も決まっていない」そういう事象も存在する。
それが、この自然界で起こっている事象です。
でも、少なくとも、目に見えない超ミクロの世界を創っている素粒子には、因果関係が存在しないことは明らか。さらに、「何も決まっていない」素粒子は、ひとの観測という行為によって、出現場所が変わることも実験から明らかになっているんですよね。
2014年に、嫌われる勇氣などで一大ブームになった、アドラー心理学。そのアドラー心理学も、「過去は関係ない。いまここから、未来は変えられる」と世の中を勇氣づけてくれて、その教えがブームとなったけど、その教えは、量子論の内容と酷似しているんですよねΣ(・□・;)
因果関係が成り立つ物理現象も、もちろん存在する。でも、心の世界や、心理学など目に見えない超ミクロの領域を扱う量子論は、因果は関係なく、いまこの瞬間からなにを大切にするかが、素粒子の振る舞いに影響を与えることを明らかにしてくれたのが量子論なのです。
素粒子は、ひとの意識という観測によって、その「位置」と「時間」を確定されて、粒となります。
過去に引きずられた意識で現実を直視すれば、その過去に引きずられた現実が確定していく。けれども、未来への希望に意識をフォーカスすれば、希望の意識へのフォーカスによって、希望が現実へと変わっていく。
未来のどこに現れるか決まってない、超ミクロの素粒子って、希望です。
だって、現実を形成する大元となる素粒子は、ひとの意識によって「位置」と「時間」を確定するわけだから、人生において、過去になにがあったかは関係ないし、将来は過去によって支配されるものではないことがわかったワケですから。
ひとの観測によって、出現場所が変わる物質の最小単位である素粒子。しかも、過去の影響を受けることのない素粒子。いまなにを意識するかが、現実に影響を及ぼすのなら、あなたは、なにに意識をフォーカスしますか?
過去の延長に囚われた意識? これから何をしたいかという意識? 将来への希望の意識?
その意識の向け先で、展開される現実は変わってくるのですヾ(@⌒ー⌒@)ノ